スタッフ便り

 
『感謝』  
2014年6月
緩和ケア部長 松浦 将浩
 
子供の日の朝、休日のカルテ回診をしていると、外泊中の患者さんの家族から電話が入った。「母を看取りました。穏やかな旅立ちでした。無事に送り届けることができました。ありがとうございました」電話の向こうで娘さんが涙している。主治医も安堵する。


 Yさんは80歳台の女性。25年前に大腸がんで手術を受け、5年後に肝臓転移で再手術。根治できたかと期待されたが骨転移で再発し、その痛みのために当時の主治医である当院院長を頼って入院してきた。麻薬性鎮痛剤を用いて痛みはコントロールされ、少ないながら食事も摂れるようになったものの、衰弱がゆえにベッド上生活に。それでも家に帰りたいという本人の意向と、それを支えたいという家族の思いが一致した。
「本当に苦労に苦労を重ねてきた母なんです。それでもいつも感謝の気持ちを忘れずに前向きに生きてきて、私達を育ててくれたんです。家で看取ってあげたい。」
娘二人の母親への感謝の思いが伝わる。

 そうと決まれば在宅サポートの準備を。地域の開業医に訪問診療を依頼すると快諾の返事。初回訪問はゴールデンウィーク明けに決まった。訪問看護も入ってくれることになった。連休前のギリギリの調整で連休明けには我が家に帰れることが決まり、本人も家族も私達も安堵したのも束の間、日に日に食が細くなってゆく。
うーん、連休を越えられるのだろうか、せっかく帰るのであれば意識のあるうちでなければ・・。家族と相談、思いは同じ。面談に同席した病棟師長と目が合う。

なけなしの男気を奮い立たせる。

「外泊で帰りましょう。私が死亡診断します。」

 内服できなくなることを視野に入れて急遽鎮痛剤を飲み薬から貼り薬に切り替える。痛みが出たときのための坐薬も用意。翌日、ストレッチャーの上で手を合わせ「ありがとう」を繰り返しながら介護タクシーで家に帰っていった。

 毎朝9時に病院からの定期連絡。痛みの再燃なく穏やかに過ごせているが食事も内服もすでに難しくなっていた。口が少し荒れていると。
病棟から離れられない主治医を置いて、じっとしておれないという面持ちで病棟師長が軟膏を手に若いスタッフを連れて訪問。台所わきの東向きの部屋、明るい窓際にベッドが置かれている。やっぱり家がいいよね。
突然の訪問に手を合わせながらの本人の言葉
「人間、感謝できなくなったら終わり」
目を潤ませる師長の姿が目に浮かんだ。

 徐々にうつらうつらが深くなり、目が覚めたときに僅かな水分を含むのみで点滴も必要ない。綺麗に枯れていっている。

帰宅から1週間、朝の7時に長女から電話が入る。
2時に看取りました。穏やかな旅立ちでした。」

 死亡診断のために主治医が訪問した。
両手を胸の前に合わせてもらい、線香が供えられていた。
そばから離れられずうなだれている一人の青年、ここまで充分に関ることができなかったのだろうか。「大丈夫、ばあちゃんの恩なんて返しきれるものではないんだよ。だから君が引き継げはいいんだ。」

主介護者の娘二人、それを支えた夫たち、そしてばあちゃんのことが大好きな孫たち。本人もやはり手を合わせている。そこには感謝が充ちている。
「お見事です」

 Yさん、貴女を送り出す言葉、それは「さようなら」ではなく「ありがとう」がふさわしい。感謝を教えて下さった貴女に感謝します。

 
 

 
『星になったペコちゃん』  
2013年3月
緩和ケア部長 松浦 将浩
 

とある研究会の幹事を仰せつかり、その懇親会の下見がてら家族と食事に出た。周囲には民家のない街中で、左目を怪我した小さな犬がトコトコ歩いているのを二女が保護した。何かの事故で飼い主とはぐれたのかしら?交番に届けると、飼い主が出てこなければ動物愛護センターに連れてゆかれるとのこと。

うーん、すでに我が家には一匹の犬がおり、世話をしている家内の顔色をうかがう。

 

そんな縁から我が家の家族になったペコちゃん。怪我のせいで舌がペロリと出ていることから命名された。本名も年齢も不詳ながら、獣医の見立てではかなり高齢とのこと。

 

4年を経て徐々に衰弱が進んでいた中、勤務中に家内からメールが届いた。

「ペコちゃんが星になりました()

 

一休禅師の話。

檀家さんに何かめでたい言葉をしたためて欲しいと所望され一筆。

「親死、子死、孫死」

案の定激怒した檀家さんを僧侶は静かに諭した。

「この世で最も不幸なことは順番が違うことだ。順番通りにまさるめでたいことがあろうか」

 

5年前に母を看取った。自身も死期を悟った静かな穏やかな旅立ちであった。

寂しいながらも全う感があった。順番通り。

 

犬も基本的には飼い主よりも先立つもの。そういう意味では順番通りなのに、何だろうこの違いは・・。帰宅して亡骸を抱いて嗚咽した。

そうか、ペコちゃんは先立つべき我が子だったのだ。

 

うちの子になってくれて、ありがとう。

ペコちゃん 
 

 
『最も美しい行動』 
2012年10月
緩和ケア部長 松浦 将浩
 

秋晴れの寒い朝、いつもは駅から歩いての出勤だが、今日はタクシーに乗り込む。

60歳代男性のYさんの呼吸状態が落ちてきたとの病棟からの連絡で、娘三人もすでに駆けつけている。英会話教室の人気講師の長女、インドで起業している次女、OLの三女。

 

呼吸は浅く、顎が少し上下に動き、一見喘いでいるようにも見えるが、これは呼吸の力が落ちてきたときの体の自然な反応。眉間にしわはなく苦痛な様子は見受けられない。

「お父さん、しんどそうにないですか?」

娘たちに合格点をもらったことと併せて、その部屋の4人がかもし出す穏やかな明るい雰囲気に主治医も安堵する。

「耳は最期まで聞こえますからね。悪口言うなら今がチャンス」

散々苦労させられましたから、と笑顔もこぼれる。

 

三女さんが大学生の頃、長年の夫婦不仲を背景に離婚し、ずっと疎遠であった家族。

その後、本人は年余にわたり酒におぼれて、人里離れた山中にある自宅で倒れているのを電気料金集金人が見つけて精神科病院に保護されたのが4年前。

独居では生活が安定せず、精神科病院・一般病院への入退院を繰り返しているうちに半年前に進行がんがみつかった。その頃に病院からの連絡でお父さんの現状が娘たちに知らされた。

 

長年の空白の時間。

当初は当惑し躊躇しながらも、後悔したくないという思いから娘たちが意を決した。

たずねてゆくと驚くふうでもなく、喜ぶでもなく、表情の乏しい中で、でもなんとなく嬉しそう。

一般病院では1回は抗がん剤治療に挑戦したが充分な効果が得られず、それ以上の負担をかけるまいとの判断から精神科病院に戻ってきた。病状進行とともに体力が低下していった。自力で歩くこともままならず、残り時間は限られている。それならば緩和ケア病棟で少しでも穏やかに過ごさせてやりたい。

3か月前、娘たちの強い希望で、精神科病院から緩和ケア病棟に移ってきた。

 

当初は1か月を越えることは難しいかもと説明し、それを踏まえて1か月後の帰りのチケットも手配してインドから次女も帰国した。

暴れる体力こそないものの、調子が悪いと暴言の嵐。せん妄と言って体力の低下が原因での認識障害。家族にもそれを説明して、額面通りに受け取って傷つかないようにとアドバイスする。投薬での改善を図る。

がんの痛みもコントロールされ、食事も少ないながらコンスタントに食べられるようになり、なんだか穏やかな時間が流れる。次女のチケットも延期の手配。部屋には娘たちに囲まれた笑顔の写真が飾られた。

 

一進一退を繰り返しながらゆっくりと体力が低下していき、先週の段階で1週間後に太鼓判が押せないと伝えていた中での今日の招集。

昼食を摂っていると「先生、すぐじゃなく、5分後に来てください」との病棟からの連絡。

家族の最期の時間へのスタッフの配慮がうかがえた。

 

5分後。

悲しい涙ではない、さわやかな涙でお父さんを囲んでいる。

3人、貴女たちはすごい。神々しいほど美しい。

 

人間の最も美しい行動、それは「許し」かもしれない。

 

Yさん、よかったね。娘さんたちに何か一言いかがでしょうか?

はい、では、差し出がましいようですが私が代弁。

「わが子たちよ、父さんを許してくれて、ありがとう」


最も美しい行動 
 

 
『小さなタラントン』 
2012年10月
緩和ケア部長 松浦 将浩
 
とある春の日に60歳台の女性、Kさんが入院した。

発達遅延ゆえ幼少のころから授産施設で約40年間生活し、そこでのいじめが発覚したことから弟さん夫婦が引き取った。そうしている中で乳癌となり手術も受けたが残念ながら再発。病状は進行して痛みが出てきて、家での生活も難しくなり緩和ケア病棟に入院となった。

歩くことも、自力で食事を摂ることもままならず、全介助状態。

「痛みますね」
「うー」
「この痛みを必ず軽くしますね」
「うー」
言葉は少し聞き取りにくいもののコミュニケーションは良好。

麻薬性鎮痛剤を用いて数日かけて痛みの軽減を図ると、Kさんらしさが戻ってくる。

車椅子に移してもらい病棟を散歩。
「○◇△☆」
「えっ?もう一度言ってください」
「○◇△☆」
「あー、レコード。いいですね」
お父さんと呼んでいる弟さんに買ってもらった音楽CDをぬいぐるみのように嬉しそうに抱き締めている。

一日一本の棒付きキャンディ。美味しそうにかじりながら、自慢気に見せてくれる。

辛い経験を重ねながらも、怒りや恨みはかけらも見られず、純粋な少女がそこに居る。
弟さんの言葉を借りれば「天真爛漫」
接するものに癒しを与えてくれる。


聖書の中の話。
長い旅に出るという大富豪が三人の番頭を呼びつけた。第一番頭には100タラントン、第二番頭には50タラントン、第三番頭には10タラントンを預けて出発した。(タラントンは貨幣単位)

長い年月を経て、帰宅した大富豪が番頭達を呼んだ。

第一番頭は100タラントンで事業を起こし1000タラントンに、第二番頭は50タラントンを銀行に預けて利子をつけて100タラントンにした。大富豪に差し出すと「よくやった」

第三番頭「あのお金はご主人様からお預かりした大切なお金ですから、家の軒下深くに埋めて、このように10タラントンお返しいたします」
くびになって追放された。

タラントンはタレント(才能)の語源。人は多い少ないの差はあるもののタラントンを授かって生まれる。
大切なのはその相対的な大小ではく、それを活かして社会還元するということ。

Kさんが授かったのはもしや小さな小さなタラントンだったのかもしれない。
しかし60年という長い年月をかけてゆっくりふやしてきたタラントン。それを惜しげもなく私達にお裾分け。

日頃、業績とか成績とか数字を無視できない生業で、自身の劣等感や優越感に振り回されている中で接する命の輝き。

4ヶ月間が過ぎ、巷では梅雨があけた。
弟さん夫婦と妹さんに見守られて、大好きなCDが流れる中、静かに息を引き取った。

Kさんはきっと大富豪に誉められていることでしょう。

おっと、忘れてはいけない。分けてもらったタラントンを軒下に埋めていては私がくびになってしまう。

さあ貴方にもKさんのタラントンを分けて差し上げましょう


 
 

 
『夏の少女』
2012年8月
緩和ケア部長 松浦 将浩
 

梅雨明け直後の夏の朝、いつもの始発電車から病院近くの駅に降り立った。

職場まで20分、道端の草花や田んぼに目を休ませながら向かっていると、小学2~3年生くらいの少女がラジオ体操のカードを首からさげて合流してきた。

何となく意図的に足音を高めているようにも聞こえて、ふと振り返ると少女の笑顔があった。

「嬢ちゃんはラジオ体操?」
うなづきながら
「昨日はお母さんが夜勤だったからだめだったんだけど今日は大丈夫。おじちゃんはどこにいくの?」
「病院」
「お医者さん?じゃあ私と一緒だ」
えっ?
「私、お医者さんになりたいの。子供のお医者さん。だって大人は運ぶのとか大変そうなんだもん。子供ならひょいと抱っこできるし。でも本当は看護婦さんとどっちにしようかと迷ってるの」

ひとしきり語ると「おじちゃん、バイバイ」と広場に向かっていった。

お母さんは看護師さんかしら?夜勤の時など寂しい思いや不自由もあるだろうに、少女にこれだけ生き生きと語らせるだけのやりがいを感じさせているお母さんの背中はすごい。

少女は今日も元気に遊ぶのかな?
お陰でおじさんも元気に仕事ができそうです。



 
 

 
『先達からの御恩』
2012年7月
緩和ケア部長 松浦 将浩
 

「ヤッホー」

甘え上手な長女がスープの冷めない距離を孫三人連れてやってきた。

「また、にぎやか軍団がやってきた」

と、ため息まじりの家内だが笑顔で迎え入れてやる。4歳、2歳、0歳のやんちゃな男児3人組。泣くわ、騒ぐわ、一時もじっとしていない。

私も今年で49歳、父の享年と重なる。5年前に母も看取り、孫の世話をするようになってから改めて気づかされる親の恩。

思い返せば研修医の時に外科の先輩方によくご馳走になった。

「わしに返さんでええから、お前も後輩にそうしてやれ。わしらも先輩方にそう言われてきたんじゃ」

返そうにも返しきれない先達からの御恩。縁という名のバトンリレー。社会や後進に還元してゆくしかないと意を新たにする。孫たちが私に群がりついてきた。パソコン仕事もこれが限界。

「さあ、にぎやか軍団、じじと一緒にお風呂に入ろうか。」



 
 

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